PLENUS RICE TO BE HERE
この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)Navigator:山口謠司(http://abocavo.a.la9.jp)Sponsor:PLENUS( www.plenus.co.jp) / PLENUS 米食文化継承活動(https://kome-academy.com/)Production:E.A.U(www.eau.co.jp)
EP. 709『@信州長野 、其ノ二 - 松茸と信州大学繊維学部』
秋の味覚、松茸。その聖地とも呼ばれるのが信州上田の別所温泉です。松茸は日当たりと水はけがよく、栄養の少ない土壌に育つアカマツと深い関係があります。アカマツが光合成で作る糖分を養分に育つ松茸。土瓶蒸しにすれば、香りとともに秋の深まりを感じます。上田には日本で唯一の繊維学部を持つ信州大学があります。前身は上田蚕糸専門学校。かつて上田は養蚕と製糸で栄え、日本の生糸や蚕は、蚕の病気に苦しんでいたフランスなどへ輸出されました。やがて化学繊維の普及で絹は高価なものになりましたが、国産松茸も今では高価な秋の味覚です。松茸を育むアカマツの林を守ることは、日本の風景を守ることにもつながります。少し値が張っても、年に一度は国産松茸を一本。土瓶蒸しにして、信州の山が育んだ香りと秋をじっくり味わいたいものです。
EP. 708『@信州長野 、其ノ一 - 寒ざらし蕎麦と岩波書店』
岩波文庫は、来年、創刊100周年を迎えます。創刊時の22点には、夏目漱石の『こころ』も入っていました。岩波書店を創業した岩波茂雄は、信州・諏訪の出身です。新聞連載の『こころ』に感動し、漱石に出版を願い出たんですね。さて、信州といえばおそば。香り豊かな新そばもいいですが、将軍家にも献上された寒晒しそばには、また違った味わいがあります。時間と手間をかけて引き出した甘みやまろやかさを、安曇野のわさびと一緒に、ゆっくり楽しむんです。『こころ』を読みながら味わえば、作品の奥深さとそばのおいしさが重なって、岩波茂雄の粘り強さや、本が持つ力まで感じられるような気がします。
EP. 707『@信楽 、其ノ四 - みんなで力を合わせて囲む鍋』
料理にも焼き物にも欠かせないのが火加減。信楽では明治から昭和初期にかけて火鉢が盛んに作られ、日本の冬の暮らしを温めてきました。一方、信楽焼の登り窯は火を絶やせない厳しい仕事。長い窯焚きを終えると、職人たちはみんなで信楽焼の鍋ですき焼きを囲むそうです。近江牛に、甲賀の「しのぶネギ」「ニンニンニンジン」「ニンたままんまる」など、忍者の里らしい名前の野菜も。土を掘り、形を作り、窯を積み、火を焚き、運ぶ。多くの人の手を経て一つの器が生まれます。信楽焼の鍋でいただくすき焼きも使い込むほどに味が染み、料理が美味しくなるともいいます。料理を作るにも、それを盛る器を作るにも火が必要。火を大切に使うことを、信楽で学びました。
EP. 706『@信楽 、其ノ三 - たぬき釜飯、ドローン・パッ』
信楽の町は、どこへ行っても信楽焼のたぬきでいっぱい。菅笠に徳利、通帳、大きなお腹と太い尻尾。それぞれに災難への備え、人徳、信用、落ち着きなどの意味があり、「八相縁起」と呼ばれています。人の顔を見て気遣い、料理を作った人に感謝する。食卓にも通じる教えです。信楽のたぬきが全国に知られるきっかけとなったのは、1951年の昭和天皇の行幸。町の人々はたぬきにも日の丸を持たせてお迎えし、天皇は幼い頃に集めたたぬきを懐かしむ歌を詠まれました。信楽には、きのこや近江牛、野菜が入った「たぬき釜飯」もあります。「陶苑たぬき村」では、さまざまな表情のたぬきに囲まれて、バーベキューも楽しめます。笑った顔、おどけた顔、泣いているような顔。たぬきを眺めながら、みんなで笑って食事をする。これも八相縁起の教えなのかもしれません。
EP. 705『@信楽 、其ノ二 - 茶粥・信楽・1200年』
信楽で静かに味わいたい料理といえば、朝宮茶で炊いた茶粥。炊いたご飯にお茶を注ぐお茶漬けとは違い、お茶の香りとお米の優しさが溶け合う味わいです。信楽に近い朝宮は、最澄が唐から持ち帰ったされる茶の産地で、昼夜の寒暖差が大きく、霧に包まれる急斜面に茶畑が広がります。手間をかけて育てられる朝宮茶は、日本一高いと言われる高級茶。この茶粥を食べてきたのが、信楽焼の窯焚きをする人たち。長時間、熱い窯の前で重労働を続け、食欲が落ちた時にも、お漬物を添えた茶粥が体をいたわってくれます。器を作る土と、お茶を育てる土。同じ土地の長い時間が、一方では焼き物となり、一方ではお茶となる。華やかさはなくても、一口いただけば千二百年の時間が体に入ってくるようです。
EP. 704『@信楽 、其ノ一 - 白いごはんのおいしさよ!信楽焼』
滋賀県の信楽へ、お茶碗を買いに行きたくなりました。京都から草津、貴生川を経て、信楽高原鐵道で焼き物の町へ向かいます。信楽焼は鎌倉時代に始まった日本六古窯の一つで、古琵琶湖層の粘土を原料にしています。湖だった頃の記憶や、土と炎の力が器に込められているようで、心がひかれます。土の粒が見える薄緑色のお茶碗に白いご飯を盛ると、お米がきりっとして、湯気もいつもよりゆっくり立つ気がするんです。同じご飯でも、器が変わると味わい方まで変わるんですね。長い間、暮らしを支えてきた信楽焼の器でいただく一膳から、ありがたさや楽しさ、うれしさを、じんわり深く感じられるのではないかと思います。
EP. 703『@只見町 、其ノ四 - 只見のお米はいろんな命に姿を変える』
只見町では、お米はご飯だけでは終わりません。焼酎やウォッカにも生まれ変わります。米焼酎のブランド名は「ねっか」。地元の方言で「全く」「全然」という意味。焼酎造りで大量に出る酒粕にはアルコールが残っているため、再び蒸留してウォッカを造ります。さらに高知県産のゆずの皮を利用した「ゆずねっかウォッカ」も生まれました。アルコールを取り除いた酒粕は肥料として田んぼに還り、次のお米を育てます。雪解け水で育ったお米が姿を変え、再び土地の恵みとなる。その背景には、地域の人々が集まり、知恵を出し合い、子供たちにも食べ物の大切さを伝える暮らしがあります。
EP. 702『@只見町 、其ノ三 - 只見のお米は奇跡です』
只見町で今回宿泊したのは、只見町の前々町長、目黒さんのご自宅。目黒さんが一人で開墾したという美しい棚田を見せていただきました。木を切り、石を動かし、水路を引き、苗を植え、毎日田んぼを見守る。自然と向き合いながら米を作る農業の大変さと、食べ物に込められた深い思いを実感しました。目黒さんにとって米作りは楽しみであり、生きがいでもあるとのこと。「もし悩んだり苦しいことがあったら、ここに来て農業をやってごらん。悩みは吹き飛ぶから」と言われた言葉が心に残りました。
EP. 701『@只見町 、其ノ二 - お魚いっぱい、自然がごちそう』
只見町を訪れるならぜひ只見線で。只見町には「只見線が通ったら手を振ろう」という条例があり、列車が通ると住民が家から出てきて手を振ります。只見町は「自然首都」を掲げ、水とブナの森、雪とともに暮らす町です。巨大な田子倉ダムは高さ145メートル、貯水容量約4億9千万トン。ボートでダム湖の奥へ進み、渓流で泳ぐと、水の中にはたくさんの魚やエビが生息していました。夕食は焼肉。只見町の焼肉といえばマトンです。たっぷりのサラダは地元で「じゅうねん」と呼ばれるエゴマを使ったドレッシングでいただきます。夜は都会の騒音とは無縁の静けさに包まれ、カエルの鳴き声を聞きながら、朝までぐっすり眠りました。
EP. 700『@只見町 、其ノ一 - ティータイムに芍薬、朝食には百合根』
福島県の只見町は、山と川、田畑に囲まれた、どこか懐かしい町です。山道やトンネルを抜けるたびに緑が深くなって、都会の慌ただしさが少しずつ抜けていく。着くと、ふるさとに帰ってきたようにほっとするんですね。ここでは薬用の芍薬を約5年かけて育てています。根っこは漢方薬の原料に、摘んだ花は「只見の養生茶」というハーブティーになるんです。初夏には花摘みのボランティアもあるそうですよ。畑の隣にはピンク色のヒメサユリが咲いていて、翌朝にはほくほくのユリ根の煮物もいただきました。爽やかな空気を吸って、土地のお茶や食事を楽しむ。何日かゆっくり過ごすと、心も体もほぐれて、元気になれそうなところです。
EP. 699『@甲賀 、其ノ三 - かんぴょうにはあけぼの茶』
日本中、霧の湧くところにはお茶があります。甲賀市土山町は、なだらかな丘陵地帯に日が当たり、鈴鹿山脈から清らかな水が流れる土地。14世紀に京都・大徳寺から茶の種が運ばれ、江戸時代には「あけぼの茶」として東海道の名物になりました。丸く刈られた茶畑を眺めながらお茶をいただくと、何かひと口頬張りたくなります。そこで、かんぴょう巻き。甲賀市水口は、かんぴょう作りで知られる土地です。夕方に花を咲かせる夕顔には、大きく丸い実がなり、それを細く薄く剥いて干したものがかんぴょうになります。甘辛く煮て海苔巻きにすれば、片手でパクッと食べられるのもいいところ。土山のお茶に、水口のかんぴょう巻き。地味だからこそ、じわっと日本の食文化のありがたさが伝わってきます。
EP. 698『@甲賀 、其ノ二 - 0.75倍速で頂く杉谷やさい』
甲南町杉谷には、杉谷なすびという伝統野菜があります。丸なすの仲間、杉谷なすびは濃い紫色の皮がつやつやと光り、柔らかいのに実はぎゅっと詰まって煮崩れしにくい。焼いても揚げても、じんわりとした甘みが楽しめます。その美味しさを生むのが、粘土と砂が混じった杉谷独特の土です。最近、外国語は速く聞くより、0.75倍速ぐらいゆっくり聞くことで前後から意味を想像しやすくなるという話を聞きました。食事も同じかもしれません。甲賀の野菜をゆっくり噛んで味わえば、その風味や美味しさがもっと見えてくる。生活も少し速度を落としてみると、今まで気づかなかったものが見えてくるのかもしれません。
EP. 697『@甲賀 、其ノ一 - 兵糧丸は忍者の非常食』
忍者の里、甲賀へ。山あり谷あり、田んぼや集落が点在し、曲がりくねった道を進んでは次の土地へ。歩いていると、ここはまさに忍んで暮らしを守る里だったのだと感じます。甲賀の忍者が携えていたとされるのが「兵糧丸」。米やそば粉、小麦粉などに梅干し、胡麻、蜂蜜、生姜などを混ぜ、丸薬のように固めた携帯食です。山中で情報を集める忍者にとって、人目を避けながら空腹をしのぐ大切な非常食でした。さらに喉の渇きに備えた「水渇丸」もあったといいます。現代の私たちもネットで情報を探していると、いつの間にかお腹がすいたり喉が渇いたりします。そんな時、懐から兵糧丸を取り出して、人目を忍んでパクッ。少し忍者の気分で仕事ができそうです。
EP. 696『@近江八幡 、其ノ四 - 心と身体を整える養生スープ』
東京にいると、いつも何かに追われています。でも近江八幡に来ると、なんとなく心がゆったりします。五個荘の「湖香六根」でいただいたのは、琵琶湖の天然すっぽんを使った養生スープ。近江八幡生まれの店主が、自ら心身をすり減らした経験から、故郷で体にいいものを提供したいと始めたお店です。顔色を見て黒と白のスープを選ぶそう。一口いただくと、ふーっと体から力が抜け、命がつながったような気が。すっぽんと26種類の漢方を使ったちまきをいただきながら聞いたのは、東京で働いていた奥様も、この料理にほっとして滋賀へ移住したという話。忙しさの中で迷った時には、心を落ち着かせてみる。季節が変わるごとに訪れて、心と体を整えたい「養生」の料理です。
EP. 695『@近江八幡 、其ノ三 - 赤コンニャク、日牟禮八幡さま』
近江八幡という町の名は、やはり八幡様と関係があります。ここに祀られているのが日牟禮八幡宮(ひむれまちまんぐう)。応神天皇が近江へ行幸した際、太陽が二つ見えたという伝承も残ります。近江八幡の食卓に欠かせないのが赤こんにゃく。鮮やかな赤色は鉄分によるもので、なぜ赤くなったのかは、織田信長が派手な赤を好んだから、安土城下に赤を好む文化があったからなど諸説あります。乾煎りした赤こんにゃくを、花かつお、みりん、醤油、唐辛子などで煮る「赤こんにゃく煮」は郷土の味。丸く切れば、まるで小さな太陽です。お皿にいくつも並べれば「日牟禮」のよう。食べれば勇気百倍、武運長久です。
EP. 694『@近江八幡 、其ノ二 - 小鮎のしあわせ』
琵琶湖のアユを楽しみに近江八幡へ。炭火で焼いた大きなアユを想像していたら、出てきたのは5〜7センチほどの小アユでした。一口で食べると、モロコとはまったく違う淡く爽やかな味。琵琶湖の美味しいところだけを食べて育ったような、高貴ささえ感じます。本来アユは秋に生まれて海へ下り、春になると川を上って苔を食べながら大きくなりますが、琵琶湖の小アユは湖で一生を過ごすので小ぶりです。そこへ運ばれてきたのが、大きく焼かれた彦根のアユ。冷めないうちに」、頭からパクリ。小アユとはまた違う美味しさです。夏の終わりに、琵琶湖の小アユと大きなアユを食べ比べることができることに幸せを感じました。
EP. 693『@近江八幡 、其ノ一 - モロコ食べて、三方良し』
近江八幡は、小川に鯉が泳ぎ、黄金色の田んぼや遠くの山々が広がる静かな土地。近江商人屋敷・中江純五郎邸の離れに宿泊し、近江商人の理念「三方よし」に思いを巡らせます。売り手の利益、買い手の満足に加え、地域社会や環境にも役立つ商売を大切にする考え方です。かつて琵琶湖は塩味のない「淡い海」と捉えられ、近江は「淡海(あふみ)」とも呼ばれました。その湖で育つ小さな魚・ホンモロコは、柳の根や水草、深い水、冬の寒さといった琵琶湖の豊かな自然を映すような、淡く優しい味わい。京都を訪れたら大津や近江八幡にも足を延ばし、琵琶湖の味を楽しんでほしいと結んでいます。
EP. 692『@インスタント食品 、其ノ四 - フリーズドライ お味噌汁は句読点』
お味噌汁は、日本の食事における「句読点」のようなもの。ご飯やおかずの合間にひと口いただくと、そこに点や丸が入るような「間」が生まれます。今ではお湯を注ぐだけのフリーズドライも身近になりました。その原型ともいえる保存法は、南米アンデスのジャガイモにも見られます。第二次世界大戦では血液成分の保存、戦後は宇宙食へと技術が広がりました。日本では1960年代から研究を進め、1971年にはエビやネギがカップラーメンの具材に。さらに一人分の具入り味噌汁を作れないかということから、1982年にブロックタイプのフリーズドライ味噌汁が完成し、翌年には発売されました。フリーズドライは水を抜くだけでなく、時間を止める技術。お味噌汁もまた、食事の時間をほんの少し止めてくれる、日本らしい句読点なのかもしれません。
EP. 691『@インスタント食品 、其ノ三 - 俳句の温かさ、レトルトカレー』
ロンドンから戻ったイギリス人の友人が、「日本のカレーが食べたくてたまらなかった」と言います。俳句を作る彼にとって、俳句は「レトルトカレーのようなもの」。どこにいても温めれば、家の味や人のぬくもりのような親しみを感じられるからだそうです。そもそも「レトルト」とは袋ではなく、加熱する容器や装置を表す言葉。1968年に発売されたボンカレーは、市販用レトルト食品として世界初でした。きっかけは、アメリカの雑誌に掲載された軍用携帯食の記事。そこに大塚グループが持っていた医療用の滅菌技術などを生かし、お湯で温めるだけのカレーが生まれました。すでに出来上がった料理に、最後に温かさを加えるレトルト食品。俳句も温めれば、季節感や親近感を誰かと分け合える。そんな味がでるのかもしれません。
EP. 690『@インスタント食品 、其ノ二 - 宇宙に飛び出すカップラーメン』
インスタントカメラ、コーヒー、ラーメン。「インスタント」という言葉から、いろいろなものが浮かびます。1958年、安藤百福さんが大阪・池田の自宅裏の小屋で試行錯誤を重ね、誕生したのがチキンラーメン。当時は「魔法のラーメン」とも呼ばれました。その後アメリカで、丼の代わりに紙コップへ麺を割って入れて食べる姿を見たことが、食習慣の壁を越えるカップヌードルへとつながります。さらに挑戦は宇宙へ。2005年には野口聡一さんが国際宇宙ステーションで、一口サイズの麺と、とろみをつけたスープの「スペース・ラム」を味わいました。お湯があれば、すぐにどこでも食べられるインスタント食品。宇宙にまで飛び出した一方、災害時に私たちのお腹を満たし、次の行動を支えてくれる防災食でもあります。家庭にも、いつも備えておきたいものです。
EP. 689『@インスタント食品 、其ノ一 - 乾飯、調理時間は歌一首』
現代のインスタント食品といえば、ラーメンやレトルトカレーが思い浮かびますが、その原型ともいえる食べ物は平安時代にもありました。在原業平がモデルとされる『伊勢物語』第九段では、都を離れて東国へ向かう男が、三河国の八橋で「乾飯(かれいい)」を食べようとします。乾飯は、炊いたり蒸したりした米を乾燥させ、旅に携帯した保存食。カキツバタを折句にした「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」を聞いた一行は、都に残した妻を思って涙を流します。その涙で乾飯がふやけたという印象的な一節から、日本人が古くから米を携え、必要な時に戻して食べていたことが分かります。いわば、昔のインスタント食品です。
EP. 688『@発酵 、其ノ一 - 甘酒』
「発酵」の「発」は、もともと弓が勢いよく飛び出すことを表す字。「酵」は酒へんで、お酒を作る「醸す」につながります。お米や麦、大豆が、もくもくと湧き返るように変化し、酒や味噌などへ姿を変えていく発酵。千葉県の神崎町には、全国で初めて発酵をテーマにした「道の駅 発酵の里こうざき」があります。ここで知ったのが甘酒の違いです。米麹から作るものは、お米そのものの甘さを生かし、基本的にアルコールはありません。一方、酒粕から作る甘酒は、商品によってアルコールを含むことがあります。お米は炊いて食べるだけでなく、小さな働き者の力を借りて甘酒や日本酒へと姿を変えていく不思議なものです。江戸っ子はうなぎを食べながら甘酒を飲んだともいいます。では、なぜ今のうなぎには奈良漬がついてくるのか。今度はこの謎を解いてみたいと思います。
EP. 687『@横浜 、其ノ四 - ニュースが来る!新しい食文化への見直しが始まっている!』
江戸時代、人をつないだのは街道でした。明治になると、その役割を鉄道と新聞が担うようになります。1871年、横浜で日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊。開港後の横浜には海外の出来事だけでなく、牛乳、牛肉、パン、西洋野菜など、初めて見る食べ物も次々と入ってきました。1869年には馬車道で日本人によるアイスクリンの販売も始まり、食べ物そのものが新しい時代を知らせるニュースでした。横浜には新聞博物館「ニュースパーク」もあります。新聞を開けば、それまで知らなかった世界に出会うこともできます。スマホでは情報が次々と流れていきますが、紙の新聞には自分の心や頭に残っていく情報がある。新しい時代は新しい新聞記事とともにやってくる。横浜は、新しい情報と美味しいものが一緒にやってくる街です。
EP. 686『@横浜 、其ノ三 - 横浜中華街、登竜門を越える鯉料理』
古代中国では魚、中でも鯉は大切な存在でした。孔子は息子に「鯉」と名付けています。鯉が川を上り、登竜門を越えて龍になるように、息子への期待を託したのかもしれません。また中国語では「魚」と余裕の「裕」が同じ発音で、魚にはゆとりや豊かさにもつながるイメージ。横浜中華街の朝陽門を見上げると、そこにも二匹の金色の龍。門をくぐって老舗北京料理店へ向かい、いただきたいのが鯉の甘酢あんかけ。鯉は二、三週間ほど真水で泥抜きをするため、あらかじめ注文して待つことも味わいの一つ。熱い油で揚げ、甘酢あんをかけた鯉をゆっくりいただく。食べることは心と体を整えること。横浜中華街で鯉をいただいて、心に余裕を持った「大人」、あるいは「君子」になって帰りましょう。
EP. 685『@横浜 、其ノ二 - 楕円の文化、お米とシルク』
横浜・山下町にあるシルク博物館。繭から糸が生まれ、布となり、着物やドレスへ姿を変えていく絹の文化に触れることができます。横浜と絹の深い関係は幕末の開港から。埼玉、山梨、群馬、栃木などで育てられた蚕の繭は生糸となり、横浜から世界へ渡って、日本の近代化を支えました。その陰にあったのが農家の営み。米を作りながら蚕を育てていました。1959年、横浜開港100年を記念して開館したシルク博物館には、古代から近代までの衣装や世界の絹製品も展示されています。繭を眺めていると、その楕円形はどこか一粒のお米にも似ています。体を温める絹と、食べて元気をくれるお米。一粒一粒が、私たちの暮らしを支えてきたんですね。
EP. 684『@横浜 、其ノ一 - ドリアで元気、横浜行こう!』
横浜は、1859年の開港以来、生糸貿易などを通して、日本と海外との交流を支えてきた街です。本牧ふ頭にはキリンのようなクレーンが並び、大さん橋や新港ふ頭には国内外の客船が発着。大黒ふ頭では自動車の輸出入も行われています。そんな横浜で、私が大好きなのがホテルニューグランドです。関東大震災からの復興のシンボルとして建てられ、1927年に開業しました。館内には、再生を象徴するフェニックスが随所にあしらわれています。さらに、シーフードドリア、スパゲッティナポリタン、プリン・ア・ラ・モードが生まれた場所としても知られています。歴史と港の景色、そして元祖の味を楽しむたびに、「横浜って、本当に気持ちのいい街だなあ」と感じます。
EP. 683『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ四 - 全国からおいしいものが届く道』
古代から現代まで、都が何回変わったのかは数え方によって違います。大きく見れば、飛鳥から藤原、奈良、長岡、京都、そして江戸へ。この飛鳥・藤原の時代、東京周辺は武蔵国と呼ばれていました。驚いたのは、現在の埼玉県美里町辺りから一斗五升もの鮒が飛鳥へ献上されていたこと。藤原宮跡の木簡からも、武蔵国の薬草をはじめ、群馬の鮎、福井の塩、出雲の魚、徳島のイノシシの干し肉など、各地の産物が都へ届けられていたことがわかります。こうした物資の流れは、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道など全国へ延びる道につながっていきます。飛鳥・藤原の都は道の結節点。全国が道で、そして美味しいものでつながっていたんです。
EP. 682『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ三 - お団子のおいしさ、ここから日本が始まった!』
694年、飛鳥からわずか4キロほど離れた藤原京へ都が移されました。歩けば一時間ほどですが、日本という国家を成長させるための大事業だったに違いありません。唐が急成長する時代、日本も独立した国として、役所や道路、区画を整えた本格的な都を造る必要がありました。飛鳥から藤原京跡へ歩く途中、柿の葉寿司を頬張りながら、ぜひ坊城駅を目指すしてください。駅前には、蜜ときな粉をたっぷりまぶした小ぶりのお団子が売っています。丸い団子を食べると、みんなが丸くなって仲良くなるような優しい気持ちになります。世界遺産になったのも、みんなの力。その美味しさを口元まで運んでくれるようなお団子です。
EP. 681『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ二 - 釜揚げ冷やし、お三味線』
飛鳥というと橿原市だと思っていましたが、世界遺産となった飛鳥は奈良県高市郡明日香村。藤原宮跡は橿原市、長谷寺は桜井市にあります。世界遺産を訪ねるなら、ぜひ味わいたいのが三輪そうめん。「そうめん處 森正」は江戸を感じる構えで、にう麺や柿の葉寿司、むかごなど奈良らしい味が並びます。この辺りは近松門左衛門『冥途の飛脚』にも登場する土地。そうめんをいただいていると、三味線の音まで聞こえてくるようです。そして「飛鳥」と「明日香」。万葉集では「飛ぶ鳥の」が明日香にかかる枕詞として使われたことから飛鳥と書くようになりました。三輪そうめんに、むかご、にう麺、柿の葉寿司。やっぱりその土地でいただくと、これこそ奈良の味という感じがします。
EP. 680『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ一 - フェザンタージュ、雉子料理』
今年7月、ユネスコの世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」飛鳥には、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳など、教科書で見た歴史の舞台が広がります。中でも石舞台古墳は、当時最大の豪族・蘇我馬子の墓ともいわれています。飛鳥時代は、推古天皇を中心に、聖徳太子が政策を進め、蘇我馬子が実務を担い、日本という国の基礎が形づくられた時代です。そして飛鳥には、昔から鳥が飛び交っていたともいわれます。その一つが雉。狩猟で、捕らえたあと一定期間寝かせ、肉の旨みを引き出す「フェザンタージュ」という熟成方法があります。熟成した雉肉を味噌や醤油で煮ると、ぐっと深い味わいに。骨から取る出汁も絶品です。
EP. 679『@加須 、其ノ四 - お米がまんなか!』
利根川は田んぼに水を届けるだけでなく、土砂を運び、加須の広く肥沃な大地そのものを作ってきた川です。加須市はおよそ半分が農地、その約85%が水田で、米の生産量は埼玉県内第一位。ここで新しい米作りに取り組んでいるのがプレナス埼玉加須ファームです。僕も昨年、田植えと稲刈りを体験しました。田んぼは自然と人間の間を取り持つ環境ではないか、と思いました。田植えの後には生き物調査も行われ、今年もドジョウ、ミズカマキリ、イトトンボ、ホウネンエビなどが見つかりました。今年の秋の稲刈りには参加する予定です。黄金色に実った稲穂って、とってもいい香りがします。やはりお米は真ん中。
EP. 678『@加須 、其ノ三 - 田んぼの中で育つホンモロコ』
平成国際大学のある埼玉県加須市。風が吹くたびに稲穂が揺れ、都心から一時間とは思えないほど清々しい田園風景が広がっています。大学内のサトエ美術館には、加須出身の画家・斎藤与里の作品も収蔵されています。加須に生まれ近代を生きた人たちをたどっていくと、やはり田んぼという原風景に行き着くように感じます。その田んぼを利用して加須で養殖されているのが、琵琶湖原産の小魚ホンモロコ。「彩のもろこ」として出荷され、天ぷらや唐揚げにするとサクサクとして実に美味。田んぼで育った魚を味わい、風に揺れる稲を眺めていると、風景画を描きたくなります。
EP. 677『@加須 、其ノ二 - 輝きの赤い太陽という卵』
加須には埼玉・栃木・群馬が接する三県境があります。平地にあり、実際に歩いて県境をまたげる珍しい場所です。さらに渡良瀬遊水地には、ハート形の湖を望む「道の駅かぞわたらせ」。ここにはFMわたらせがあり、平成国際大学の学生による番組や、災害時に備えたアマチュア無線の活動も行われています。道の駅には三県から美味しいものが集まり、群馬県板倉町から届いた「輝きの赤い太陽」という卵もその一つ。黄身は名前の通り、太陽のような鮮やかな色でした。高いアンテナの向こうには赤城山や筑波山、天気がよければ富士山まで。見渡す限りの田園地帯と渡良瀬遊水地。大きく深呼吸すると、関東平野の広さを実感できます。
EP. 676『@加須 、其ノ一 - 地粉のうまさ、鴨汁うどん』
東北自動車道を走って、久喜白岡ジャンクションから加須あたりに入ると、田園風景が一気に広がります。僕が教えている平成国際大学の周りも田んぼだらけ。5月の田植え前には、黄金色に輝く小麦畑が広がっていました。「麦秋」と呼ばれるこの風景を見て思い出したのが、小津安二郎監督の映画『麦秋』。白黒なのに、黄金色の麦畑が見えてくるような日本の原風景です。
そんな小麦の産地・加須は、うどんも名物。「加須手打うどん会」のお店では、地粉を使ったうどんを、地元の鴨やネギ、ナスと一緒にいただきました。冷たい麺を鴨汁につけてすすると、暑さもすっと引いていくよう。小麦と野菜、豊かな田園の恵みを味わえる加須、ぜひ訪ねてみてください。
EP. 675『@能登 、其ノ四 - 中島菜すっきり手延べうどん』
能登には18種類の「能登野菜」があります。能登長なす、能登金時、能登大根、小菊かぼちゃ、沢野ごぼう、そして中島菜。中島菜は野沢菜に似た葉物ですが、口にすると鼻にすっと抜ける独特の爽やかさがあります。今回訪ねた天領黒島(輪島市門前町黒島町)では、重要文化財の黒瓦の家並みが震災で大きな被害を受けました。それでも先祖代々の土地を離れず、そこでしか生まれない野菜を守ろうとしている人たちがいます。中島菜を練り込んだ翡翠色の「中島菜うどん」は、冷たくして輪島のたまり醤油でいただくと、すっきり爽やかな味。「能登はやさしや土までも」。その優しい土と、そこで育つ野菜を守るためにも、能登野菜をいただくことが復興につながる一歩だと思います。
EP. 674『@能登 、其ノ三 - 岩牡蠣食べてガッツポーズ!』
能登に行ったら食べたかった岩ガキ。大きく重い殻に守られた身は、日本海の荒波で育った力強さを感じます。今回いただいたのは「柴垣天然岩ガキ」。海中から湧き出す真水と海水が混じり合う環境で育ち、一口では食べられないほどの大きさ。味も深く濃厚で、まさにカキを食べたという満足感でした。そして、さらに珍しいのが珠洲の「黄金岩ガキ」。潮の流れによって海底の砂に磨かれ、殻が黄金色に輝く岩ガキです。能登でも滅多に出会えないそうなので、次はぜひ珠洲まで行って食べてみたい。能登の岩ガキはまずは何もかけず、次はレモン、さらにタバスコ。能登の天然岩ガキをいただくと、思わずガッツポーズを取りたくなるような元気が湧いてきます。食べることも、能登復興支援の一歩です。
EP. 673『@能登 、其ノ二 - ノドグロとポケモンが待っている!!』
能登へ行くなら、ぜひ飛行機で。現在は「のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港」として、空港いっぱいにポケモンが登場し、能登半島の復興を応援しています。能登の魚といえばノドグロ。赤金色の体に大きな目、口の中は真っ黒。白身のトロと呼ばれるほど脂がのり、塩焼きが大好きですが、能登では甘辛く炊いた煮付けもおいしいそうです。そして一緒に食べたいのが輪島・白米千枚田のお米。1004枚あった棚田は震災で大きな被害を受け、昨年は約250枚まで復活。元の姿を取り戻そうと復興が続いています。海と山、おいしい水、復興への力が詰まった千枚田のお米。ノドグロの煮付けと一緒に食べたいですね。
EP. 672『@能登 、其ノ一 - 海の岩のコケ・岩海苔』
石川県では今、震災復興のキャンペーンが行われていて、対象のお店で使えるクーポンがあります。そこで皆さんと一緒に、輪島のお寿司屋さんへ行ってきました。加賀から輪島へ向かう途中、砂浜を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイを通ります。ところが輪島への道は、まだ復旧工事の真っ最中。片側通行も多く、大きな工事車両が行き交っていました。ようやく着いたお寿司屋さんで、最初に出してくださったのが、輪島塗のお椀に入った岩のりのお味噌汁。荒波にもまれ、潮の満ち引きの中で育った能登の岩のりは、磯の香りがとても力強い。復興へ歩みを進める能登で、そのたくましさまでいただいたような、忘れられない味になりました。
EP. 671『@宮古島 、其ノ四 - バナナ食べ食べ、紫外線反応実験』
六月半ばに宮古島を訪れました。曇り空でしたが、ホテルでは「曇りの日こそ紫外線に気をつけてください」と教えられました。曇りでも日焼けをし、目から入る紫外線でも体は疲れるため、サングラスも大切だそうです。先日、小学校の理科では、バナナに日焼け止めクリームを塗って紫外線による皮の変色を比べる実験をしていました。バナナと言うと宮古島では手のひらサイズの宮古バナナが親しまれ、畑では実に紙袋が掛けられています。鳥や虫を防ぐだけでなく、強い紫外線で皮が黒くなるのを防ぐためで、大きな葉も実を日差しから守る役目を果たしています。バナナにも日焼け止めを塗って自由研究をしてみるのも面白そうです。夏本番、皆さんも紫外線には気をつけてください。
EP. 670『@宮古島 、其ノ三 - パーントゥは「食べる人」』
島で育ったこともあって、島には特別な魅力を感じます。本土から海で隔てられているからこそ、その土地だけに残る動植物や風習、文化が受け継がれ、日常を離れた時間を過ごすことができます。宮古島を代表する伝統行事の一つが「パーントゥ」。全身に泥をまとった来訪神が集落を巡り、人々に泥を塗って厄を払う祭りで、代々受け継がれてきた仮面や神聖な井戸の泥が用いられます。この「パーントゥ」という言葉にも古い日本語が残されているといわれます。古くは「食べる」を「はむ(ぱむ)」と発音していた時代があり、奈良・平安時代には現在のハ行とは異なる音だったと考えられています。宮古島には、こうした古い言葉や信仰が今も暮らしの中に息づき、本土では失われた日本文化の一端を伝え続けています。