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By: J-WAVE

この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)Navigator:山口謠司(http://abocavo.a.la9.jp)Sponsor:PLENUS( www.plenus.co.jp) / PLENUS 米食文化継承活動(https://kome-academy.com/)Production:E.A.U(www.eau.co.jp)

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EP. 684『@横浜 、其ノ一 - ドリアで元気、横浜行こう!』
Today at 2:50 AM

横浜は、1859年の開港以来、生糸貿易などを通して、日本と海外との交流を支えてきた街です。本牧ふ頭にはキリンのようなクレーンが並び、大さん橋や新港ふ頭には国内外の客船が発着。大黒ふ頭では自動車の輸出入も行われています。そんな横浜で、私が大好きなのがホテルニューグランドです。関東大震災からの復興のシンボルとして建てられ、1927年に開業しました。館内には、再生を象徴するフェニックスが随所にあしらわれています。さらに、シーフードドリア、スパゲッティナポリタン、プリン・ア・ラ・モードが生まれた場所としても知られています。歴史と港の景色、そして元祖の味を楽しむたびに、「横浜って、本当に気持ちのいい街だなあ」と感じます。


EP. 683『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ四 - 全国からおいしいものが届く道』
Last Thursday at 2:50 AM

古代から現代まで、都が何回変わったのかは数え方によって違います。大きく見れば、飛鳥から藤原、奈良、長岡、京都、そして江戸へ。この飛鳥・藤原の時代、東京周辺は武蔵国と呼ばれていました。驚いたのは、現在の埼玉県美里町辺りから一斗五升もの鮒が飛鳥へ献上されていたこと。藤原宮跡の木簡からも、武蔵国の薬草をはじめ、群馬の鮎、福井の塩、出雲の魚、徳島のイノシシの干し肉など、各地の産物が都へ届けられていたことがわかります。こうした物資の流れは、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道など全国へ延びる道につながっていきます。飛鳥・藤原の都は道の結節点。全国が道で、そして美味しいものでつながっていたんです。


EP. 682『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ三 - お団子のおいしさ、ここから日本が始まった!』
Last Wednesday at 2:50 AM

694年、飛鳥からわずか4キロほど離れた藤原京へ都が移されました。歩けば一時間ほどですが、日本という国家を成長させるための大事業だったに違いありません。唐が急成長する時代、日本も独立した国として、役所や道路、区画を整えた本格的な都を造る必要がありました。飛鳥から藤原京跡へ歩く途中、柿の葉寿司を頬張りながら、ぜひ坊城駅を目指すしてください。駅前には、蜜ときな粉をたっぷりまぶした小ぶりのお団子が売っています。丸い団子を食べると、みんなが丸くなって仲良くなるような優しい気持ちになります。世界遺産になったのも、みんなの力。その美味しさを口元まで運んでくれるようなお団子です。


EP. 681『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ二 - 釜揚げ冷やし、お三味線』
Last Tuesday at 2:50 AM

飛鳥というと橿原市だと思っていましたが、世界遺産となった飛鳥は奈良県高市郡明日香村。藤原宮跡は橿原市、長谷寺は桜井市にあります。世界遺産を訪ねるなら、ぜひ味わいたいのが三輪そうめん。「そうめん處 森正」は江戸を感じる構えで、にう麺や柿の葉寿司、むかごなど奈良らしい味が並びます。この辺りは近松門左衛門『冥途の飛脚』にも登場する土地。そうめんをいただいていると、三味線の音まで聞こえてくるようです。そして「飛鳥」と「明日香」。万葉集では「飛ぶ鳥の」が明日香にかかる枕詞として使われたことから飛鳥と書くようになりました。三輪そうめんに、むかご、にう麺、柿の葉寿司。やっぱりその土地でいただくと、これこそ奈良の味という感じがします。


EP. 680『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ一 - フェザンタージュ、雉子料理』
09/07/2026

今年7月、ユネスコの世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」飛鳥には、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳など、教科書で見た歴史の舞台が広がります。中でも石舞台古墳は、当時最大の豪族・蘇我馬子の墓ともいわれています。飛鳥時代は、推古天皇を中心に、聖徳太子が政策を進め、蘇我馬子が実務を担い、日本という国の基礎が形づくられた時代です。そして飛鳥には、昔から鳥が飛び交っていたともいわれます。その一つが雉。狩猟で、捕らえたあと一定期間寝かせ、肉の旨みを引き出す「フェザンタージュ」という熟成方法があります。熟成した雉肉を味噌や醤油で煮ると、ぐっと深い味わいに。骨から取る出汁も絶品です。


EP. 679『@加須 、其ノ四 - お米がまんなか!』
09/03/2026

利根川は田んぼに水を届けるだけでなく、土砂を運び、加須の広く肥沃な大地そのものを作ってきた川です。加須市はおよそ半分が農地、その約85%が水田で、米の生産量は埼玉県内第一位。ここで新しい米作りに取り組んでいるのがプレナス埼玉加須ファームです。僕も昨年、田植えと稲刈りを体験しました。田んぼは自然と人間の間を取り持つ環境ではないか、と思いました。田植えの後には生き物調査も行われ、今年もドジョウ、ミズカマキリ、イトトンボ、ホウネンエビなどが見つかりました。今年の秋の稲刈りには参加する予定です。黄金色に実った稲穂って、とってもいい香りがします。やはりお米は真ん中。


EP. 678『@加須 、其ノ三 - 田んぼの中で育つホンモロコ』
09/02/2026

平成国際大学のある埼玉県加須市。風が吹くたびに稲穂が揺れ、都心から一時間とは思えないほど清々しい田園風景が広がっています。大学内のサトエ美術館には、加須出身の画家・斎藤与里の作品も収蔵されています。加須に生まれ近代を生きた人たちをたどっていくと、やはり田んぼという原風景に行き着くように感じます。その田んぼを利用して加須で養殖されているのが、琵琶湖原産の小魚ホンモロコ。「彩のもろこ」として出荷され、天ぷらや唐揚げにするとサクサクとして実に美味。田んぼで育った魚を味わい、風に揺れる稲を眺めていると、風景画を描きたくなります。


EP. 677『@加須 、其ノ二 - 輝きの赤い太陽という卵』
09/01/2026

加須には埼玉・栃木・群馬が接する三県境があります。平地にあり、実際に歩いて県境をまたげる珍しい場所です。さらに渡良瀬遊水地には、ハート形の湖を望む「道の駅かぞわたらせ」。ここにはFMわたらせがあり、平成国際大学の学生による番組や、災害時に備えたアマチュア無線の活動も行われています。道の駅には三県から美味しいものが集まり、群馬県板倉町から届いた「輝きの赤い太陽」という卵もその一つ。黄身は名前の通り、太陽のような鮮やかな色でした。高いアンテナの向こうには赤城山や筑波山、天気がよければ富士山まで。見渡す限りの田園地帯と渡良瀬遊水地。大きく深呼吸すると、関東平野の広さを実感できます。


EP. 676『@加須 、其ノ一 - 地粉のうまさ、鴨汁うどん』
08/31/2026

東北自動車道を走って、久喜白岡ジャンクションから加須あたりに入ると、田園風景が一気に広がります。僕が教えている平成国際大学の周りも田んぼだらけ。5月の田植え前には、黄金色に輝く小麦畑が広がっていました。「麦秋」と呼ばれるこの風景を見て思い出したのが、小津安二郎監督の映画『麦秋』。白黒なのに、黄金色の麦畑が見えてくるような日本の原風景です。

そんな小麦の産地・加須は、うどんも名物。「加須手打うどん会」のお店では、地粉を使ったうどんを、地元の鴨やネギ、ナスと一緒にいただきました。冷たい麺を鴨汁につけてすすると、暑さもすっと引いていくよう。小麦と野菜、豊かな田園の恵みを味わえる加須、ぜひ訪ねてみてください。


EP. 675『@能登 、其ノ四 - 中島菜すっきり手延べうどん』
08/27/2026

能登には18種類の「能登野菜」があります。能登長なす、能登金時、能登大根、小菊かぼちゃ、沢野ごぼう、そして中島菜。中島菜は野沢菜に似た葉物ですが、口にすると鼻にすっと抜ける独特の爽やかさがあります。今回訪ねた天領黒島(輪島市門前町黒島町)では、重要文化財の黒瓦の家並みが震災で大きな被害を受けました。それでも先祖代々の土地を離れず、そこでしか生まれない野菜を守ろうとしている人たちがいます。中島菜を練り込んだ翡翠色の「中島菜うどん」は、冷たくして輪島のたまり醤油でいただくと、すっきり爽やかな味。「能登はやさしや土までも」。その優しい土と、そこで育つ野菜を守るためにも、能登野菜をいただくことが復興につながる一歩だと思います。


EP. 674『@能登 、其ノ三 - 岩牡蠣食べてガッツポーズ!』
08/26/2026

能登に行ったら食べたかった岩ガキ。大きく重い殻に守られた身は、日本海の荒波で育った力強さを感じます。今回いただいたのは「柴垣天然岩ガキ」。海中から湧き出す真水と海水が混じり合う環境で育ち、一口では食べられないほどの大きさ。味も深く濃厚で、まさにカキを食べたという満足感でした。そして、さらに珍しいのが珠洲の「黄金岩ガキ」。潮の流れによって海底の砂に磨かれ、殻が黄金色に輝く岩ガキです。能登でも滅多に出会えないそうなので、次はぜひ珠洲まで行って食べてみたい。能登の岩ガキはまずは何もかけず、次はレモン、さらにタバスコ。能登の天然岩ガキをいただくと、思わずガッツポーズを取りたくなるような元気が湧いてきます。食べることも、能登復興支援の一歩です。


EP. 673『@能登 、其ノ二 - ノドグロとポケモンが待っている!!』
08/25/2026

能登へ行くなら、ぜひ飛行機で。現在は「のと里山ポケモン・ウィズ・ユー空港」として、空港いっぱいにポケモンが登場し、能登半島の復興を応援しています。能登の魚といえばノドグロ。赤金色の体に大きな目、口の中は真っ黒。白身のトロと呼ばれるほど脂がのり、塩焼きが大好きですが、能登では甘辛く炊いた煮付けもおいしいそうです。そして一緒に食べたいのが輪島・白米千枚田のお米。1004枚あった棚田は震災で大きな被害を受け、昨年は約250枚まで復活。元の姿を取り戻そうと復興が続いています。海と山、おいしい水、復興への力が詰まった千枚田のお米。ノドグロの煮付けと一緒に食べたいですね。


EP. 672『@能登 、其ノ一 - 海の岩のコケ・岩海苔』
08/24/2026

石川県では今、震災復興のキャンペーンが行われていて、対象のお店で使えるクーポンがあります。そこで皆さんと一緒に、輪島のお寿司屋さんへ行ってきました。加賀から輪島へ向かう途中、砂浜を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイを通ります。ところが輪島への道は、まだ復旧工事の真っ最中。片側通行も多く、大きな工事車両が行き交っていました。ようやく着いたお寿司屋さんで、最初に出してくださったのが、輪島塗のお椀に入った岩のりのお味噌汁。荒波にもまれ、潮の満ち引きの中で育った能登の岩のりは、磯の香りがとても力強い。復興へ歩みを進める能登で、そのたくましさまでいただいたような、忘れられない味になりました。


EP. 671『@宮古島 、其ノ四 - バナナ食べ食べ、紫外線反応実験』
08/20/2026

六月半ばに宮古島を訪れました。曇り空でしたが、ホテルでは「曇りの日こそ紫外線に気をつけてください」と教えられました。曇りでも日焼けをし、目から入る紫外線でも体は疲れるため、サングラスも大切だそうです。先日、小学校の理科では、バナナに日焼け止めクリームを塗って紫外線による皮の変色を比べる実験をしていました。バナナと言うと宮古島では手のひらサイズの宮古バナナが親しまれ、畑では実に紙袋が掛けられています。鳥や虫を防ぐだけでなく、強い紫外線で皮が黒くなるのを防ぐためで、大きな葉も実を日差しから守る役目を果たしています。バナナにも日焼け止めを塗って自由研究をしてみるのも面白そうです。夏本番、皆さんも紫外線には気をつけてください。


EP. 670『@宮古島 、其ノ三 - パーントゥは「食べる人」』
08/19/2026

島で育ったこともあって、島には特別な魅力を感じます。本土から海で隔てられているからこそ、その土地だけに残る動植物や風習、文化が受け継がれ、日常を離れた時間を過ごすことができます。宮古島を代表する伝統行事の一つが「パーントゥ」。全身に泥をまとった来訪神が集落を巡り、人々に泥を塗って厄を払う祭りで、代々受け継がれてきた仮面や神聖な井戸の泥が用いられます。この「パーントゥ」という言葉にも古い日本語が残されているといわれます。古くは「食べる」を「はむ(ぱむ)」と発音していた時代があり、奈良・平安時代には現在のハ行とは異なる音だったと考えられています。宮古島には、こうした古い言葉や信仰が今も暮らしの中に息づき、本土では失われた日本文化の一端を伝え続けています。


EP. 669『@宮古島 、其ノ二 - とうきび、サトウキビ』
08/18/2026

トウモロコシの季節を迎え、店頭にはゴールドラッシュやサニーショコラ、きみひめ、ドルチェドリームなど、甘さや食感に個性を持つ品種が並びます。糖度20度に達するきみひめは、スイーツ代わりに楽しむ人も増えているそうです。子どもの頃はトウモロコシではなく「トウキビ」と呼んでいました。「トウ」は外来、「キビ」と「モロコシ」はどちらもイネ科の植物を指し、かつては区別されずに使われていました。その後、それぞれ別の植物と分かり、現在の呼び分けが定着したといわれています。一方、宮古島を訪れると目にするのはサトウキビ。トウモロコシのような実はならず、茎にたっぷり蓄えた糖分から砂糖を作ります。宮古島でサトウキビを手に入れ、自分で煮詰めて砂糖づくりを楽しむのも、夏ならではの味わい方ではないでしょうか。


EP. 668『@宮古島 、其ノ一 - 宮古島で雪の塩』
08/17/2026

羽田から飛行機でおよそ3時間。美しいサンゴ礁に囲まれた宮古島へ、3泊4日で行ってきました。海で泳いで、頭も体もすっきり。北にある池間島の近くでは、まるでパウダースノーのように真っ白でサラサラな「雪塩」に出会いました。そして楽しみにしていたのが宮古牛。島で育つ黒毛和牛で、なかなか島の外では味わえない貴重な牛肉です。温暖な宮古島では、一年を通して牧草が育ち、牛たちは島の恵みを受けながら育つそうです。その宮古牛のステーキに雪塩をひと振り。これがもう絶品でした。朝、羽田を出れば、お昼には宮古牛、午後は海へ。そんな夢のような一日もできてしまう宮古島。また秋にも訪ねてみたいですね。


EP. 667『@お醬油 、其ノ三 - たまごかけはん』
08/13/2026

卵かけご飯に合う醤油は何でしょうか。たまり醤油、濃口醤油、薄口醤油。同じ醤油でも、それぞれ味わいや役割が大きく異なります。醤油の原型は、味噌を仕込んだ時に自然とにじみ出る液体だったといわれ、そのまま汲み取ったものが「たまり醤油」です。濃厚な旨味と粘りがあり、味のしっかりしたブリやマグロ、カツオなどの刺身によく合います。一方、大豆と小麦を使った濃口醤油は香りと旨味のバランスに優れ、卵かけご飯の風味を引き立てるのに最適です。関西で親しまれる薄口醤油は、色を淡く仕上げるため塩分を高めて発酵を抑えており、実は濃口より塩分が強め。野菜やかぶなど素材の持ち味を生かす料理には向いていますが、卵かけご飯では黄身の風味が前に出やすく、好みが分かれます。料理の個性に合わせて醤油を選ぶだけで、いつもの味わいが大きく変わります。


EP. 666『@お醬油 、其ノ二 - たまり醤油、辛口醤油、淡口醤油』
08/12/2026

加賀を初めて訪れた時、お刺身は絶品でしたが、醤油の甘さに驚きました。しかし、何度も足を運ぶうちに、その土地の魚にはその土地の醤油が一番合うと感じるようになります。醤油の味は地域の文化や歴史を映す鏡でもあります。キッコーマンの調査でも、関東は塩味と香りの立った濃口、関西は素材を生かす淡口、九州は甘味の強い醤油が好まれるなど、地域ごとの特徴が明らかになっています。一方、茶の湯文化が栄えた加賀や金沢にも甘い醤油が根付いています。その背景には、長崎にもたらされた砂糖の文化と、千利休の没後、菓子職人とともに茶の湯の文化が金沢へ伝わった歴史があるといわれています。醤油は土地の風土や食文化を取り込みながら、それぞれの地域で独自の味を育んできました。一滴の醤油にも、その土地の歴史や文化が息づいていることを感じます。


EP. 665『@お醬油 、其ノ一 - 醤油、オランダに渡る』
08/10/2026

もうすぐお昼ですね。今日はうどんを食べようという方も多いかもしれません。そこで注目したいのがお醤油です。実はヨーロッパに初めて伝わった醤油は、江戸時代に長崎・出島からオランダへ運ばれたものといわれています。その当時の醤油を再現した「コンプラ醤油」も販売されています。一方、長崎県西海市の離島・江島では、今も昔ながらの手作り醤油づくりが受け継がれています。大豆と小麦を使い、もろみを100日かけて育て、さらに約10か月熟成させるという、とても手間ひまのかかる製法です。甘みとコクのあるこの醤油は、あごだしでいただく五島うどんと相性抜群。今日のランチは、そんな長崎の味に思いをはせながら、うどんを味わってみるのもいいですね。


EP. 664『@結城 、其ノ四 - お醤油造りと風月堂』
08/06/2026

結城紬の産地を訪れると、着物は日本人の所作や美意識を育んできたものだと感じます。帯を締めれば自然と背筋が伸び、歩き方や立ち居振る舞いにも気を配るようになります。結城には、天保の改革を進めた水野忠邦の墓もあります。厳しい倹約令で知られる一方、母は江戸・京橋の老舗菓子店「風月堂」の出身という意外な縁も残されています。さらに結城には、二百年以上続く醤油蔵「小田屋」があり、蔵に棲み続ける微生物の力で二〜三年かけて熟成させる醤油づくりが受け継がれています。看板商品の大吟醸醤油を中トロに合わせると、その深い旨みを存分に味わうことができました。東京からおよそ一時間半。結城を訪ね、歴史や食文化に触れながら醤油を持ち帰り、自宅で寿司を握って味わえば、店とはまた違った楽しみ方が広がります。


EP. 663『@結城 、其ノ三 - 蕪村の里というおうどん』
08/05/2026

結城は結城紬で知られる町ですが、その着物を守ってきた桐箪笥の文化も欠かせません。群馬県桐生から結城にかけては桐の産地で、地名にもその歴史が残されています。一方、結城は四百年にわたり乾麺づくりが受け継がれてきた土地でもあります。俳人・与謝蕪村は十年ほど結城に暮らし、「狐火や五助新田の麦の雨」の句を詠みました。広々とした田園に広がる麦畑の風景は、乾麺づくりの営みとも重なります。「蕪村の里」といううどんを味わいながら、俳句を語り、人が集い、農業や食文化を育んできた時間に思いを巡らせると、結城紬と桐、麦と乾麺。それぞれの文化が結びつき、この土地ならではの歴史が感じられます。


EP. 662『@結城 、其ノ二 - 大豆の形と繭の形』
08/04/2026

結城は鬼怒川と田川に育まれた水の豊かな町です。鬼怒川は、絹づくりを支える川として「絹川」とも呼ばれたと伝えられています。蚕は桑の葉を食べ続け、やがて約1500メートルもの糸を吐いて繭を作ります。その静かな営みに、結城紬の原点を感じました。続いて味わったのは、昔ながらの製法で仕込まれた「紬味噌」。原料には宮城県産の立長葉大豆が使われ、その形は繭によく似ています。この大豆は味噌だけでなく、結城の豆腐や煮豆にも使われ、甘みが強く、関東の醤油や味噌によく合う味わいです。結城紬を育んだ絹の文化と、立長葉大豆が生み出す食文化。人や土地、文化を結ぶ結城らしさを、あらためて感じることができました。


EP. 661『@結城 、其ノ一 - 結城紬、ゆでまんじゅう』
08/03/2026

結城を訪ねてきました。東京から新幹線で小山へ、そこから水戸線でわずか7分。駅にはお蚕をイメージしたかわいらしいデザインが迎えてくれます。結城といえば、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている結城紬。鎌倉時代から受け継がれ、「三世代着て初めて味が出る」と言われるほど長く愛される着物です。今回は「蚊絣」という繊細な柄や、麻を織り込んだ涼やかな夏結城にも触れ、その美しさを実感しました。そして名物の「ゆでまんじゅう」は、江戸時代に疫病退散を願って神社に奉納したのが始まり。ちょうど麦秋を迎えた小麦畑が広がる結城ならではの味です。小麦やお米、そして養蚕など、豊かな自然と伝統産業が今も息づく町の魅力を、今週ご紹介します。


EP. 660『@宇和島 、其ノ四 - 山に行くには三角おにぎり、畦地梅太郎』
07/30/2026

愛媛で行ってみたかった場所「石鎚山(いしづちやま)」。石鎚山は修験道の霊場として知られ、役小角(えんのおづぬ)が開山したと伝えられています。道後温泉の湯が白鳳地震で止まった際、役小角が石鎚山に神を祀って再び湯を湧かせたという伝説も残っています。宇和島出身の版画家・畦地梅太郎は、16歳で上京して印刷局に勤める中で版画の世界に入り、故郷・愛媛の山々を題材に独自の作品を生み出しました。また、宇和島市三間(みま)は四万十川最上流に広がる三間盆地の米どころで、昼夜の寒暖差と粘土質の土壌がおいしい三間米を育てています。宇和島では、おでんに付ける甘辛い「みがらし味噌」をおにぎりに塗って食べるのもおすすめです。畦地梅太郎の作品を眺めながら味わうと、愛媛の山や自然がいっそう身近に感じられました。


EP. 659『@宇和島 、其ノ三 - 丸ずし、だんだん、段々畑』
07/29/2026

宇和島ではなんといっても鯛めし定食。地元では「鯛めし」ではなく「日向飯(ひゅうがめし)」と呼ぶそうです。黒潮が宮崎の日向から豊後水道を北上してくることから、その名が付いたといいます。定食には、おからを酢で締めて小魚をのせた郷土料理の丸寿司も添えられていました。米は年貢として納める貴重な作物だったため、米の代わりにおからを使うようになったとか。宇和島は急峻な地形のため水田が少なく、石垣を積んだ段畑で芋や豆などを育てて暮らしてきた所。愛媛では「だんだん」が「ありがとう」の意味で使われています。春にはシロウオの踊り食いやアオサ、青のりが美味しいことも教えていただきました。宇和島、春の味覚も魅力的で、来年は春にもう一度訪ねてみたくなりました。


EP. 658『@宇和島 、其ノ二 - じゃこ天食べ食べ鉄道唱歌』
07/28/2026

宇和島出身の大和田建樹が作詞した鉄道唱歌は、1900年に出版されました。新橋駅には大和田建樹直筆による鉄道唱歌第一番の歌碑が建てられています。歌詞は東海道編だけで334番、北海道編を加えると374番にも及びます。宇和島駅では、夏目漱石最後の弟子で、現代の新漢字・新仮名遣いの制定に携わった阿部良茂の碑文を見ることができます。宇和島は鉄道が開通するまで陸の孤島と呼ばれ、高松から松山、八幡浜を経て、1941年にようやく鉄道が延伸されました。駅前で宇和島名物のじゃこ天。ホタルジャコを地元ではハランボと呼び、骨ごとすり身にして油で揚げた郷土料理です。鉄道工事に携わる人たちも食べていました。揚げたてのじゃこ天とみかんジュースを味わい、カルシウムやビタミンをたっぷり取ると、鉄道唱歌を口ずさみたくなるります。


EP. 657『@宇和島 、其ノ一 - びわはやさしい木の実です』
07/27/2026

松山へ行くときは、最初は大分からフェリーで渡ることも考えたんですが、結局は羽田から松山まで飛行機で1時間20分、そこからレンタカーで宇和島へ向かいました。実は宇和島は、日本で、産婦人科を開業した楠本イネゆかりの地。父は、1823年に来日し鳴滝塾を開いて蘭学や医学を広めたシーボルトです。シーボルトが国外追放となったあとも、イネは西予市宇和町で暮らしました。江戸時代の町並みが残るその景色は、長崎の裏通りを歩いているような雰囲気。みかんや琵琶が実り、琵琶は昔、薬としても使われていました。宇和島の琵琶は長崎のものによく似た、やさしい甘さが印象的でした。


EP. 656『@神楽坂 、其ノ三 - 肉まん五十番、紅葉、鏡花』
07/23/2026

神楽坂は毘沙門天や大久保通りまでで引き返す人も多い街ですが、その先の新潮社まで歩くと、さらに魅力的な店や風景に出会えます。大久保通りを越えると明治時代に入り込んだような雰囲気があり、尾崎紅葉を慕って16歳で金沢から上京した泉鏡花の姿を思い浮かべました。鏡花は1889年に神楽坂に住んでいた尾崎紅葉のもとを訪ね、書生として住み込みながら小説家への道を歩み始めます。その近くにある「五十番」の肉まんは、五目肉まんやうずらの卵入りなど具材が豊富で、神楽坂を訪れるたびに味わいたくなります。「五十番」という名前は、明治時代の横浜外国人居留地にあった番地「50番」に由来し、日本各地にある五十番のルーツでもあります。神楽坂を歩きながら肉まんを味わい、泉鏡花の『歌行燈』や尾崎紅葉の『金色夜叉』を読むと、明治文学の世界がより身近に感じられます。


EP. 655『@神楽坂 、其ノ二 - 毘沙門天、クレープブルトン』
07/22/2026

神楽坂は雑貨店や画廊、カフェ、ワインバーなどが立ち並び、一日歩いても飽きない街です。坂を上ると江戸三大毘沙門天の一つ、善國寺の毘沙門天があり、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全、長寿、立身出世の御利益で親しまれています。善國寺は徳川家康が開基した寺で、その裏手には江戸時代の武家屋敷をイメージして整備された新宿区立若宮公園があります。近くの若宮八幡宮は、源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願したと伝えられ、後に鎌倉の鶴岡八幡宮へ御神霊が勧請されたという由来があります。毘沙門天近くには1996年創業のクレープ店「クレープリー・ル・ブルターニュ」もあり、ブルターニュ仕込みの本場の味を楽しむことができます。江戸時代や鎌倉時代の歴史と、フランス文化が自然に溶け合う神楽坂を、ゆっくり歩いて楽しみました。


EP. 654『@神楽坂 、其ノ一 - うなぎ、しまきん、長澤先生』
07/21/2026

神楽坂は東京の昔の面影ある街で、ゆるやかな坂道も魅力です。今回は、市ヶ谷側から坂を上ったところにある創業1869年のうなぎ店「志満金」を訪ねます。東京理科大学からも近く、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公が卒業した東京物理学校が現在の東京理科大学であることから、漱石もこの辺りを歩いていたことになります。私にとって志満金は、法政大学の書誌学者・長澤規矩也先生を思い出す場所でもあります。先生は志満金を愛し、食事をしながら古書の話をしていたといいます。今回は、ご養子の長澤孝三先生と、長澤先生が行った陽明文庫漢籍の悉皆調査について、この店で打ち合わせをする予定です。志満金のうなぎは長いまま炭火で香ばしく焼かれ、ゆっくり食事や会話を楽しめる一軒です。


EP. 653『@松山 、其ノ四 - 自転車競争、あかね牛、モー』
07/16/2026

松山や道後、宇和島を歩いていると、自転車に乗る人の多さに驚きます。子どもから高齢者までヘルメットを着用し、愛媛はまさに自転車王国でした。その背景には、日露戦争で松山に収容されたロシア兵捕虜のため、市民が自転車を貸し出し、1905年には自転車競走まで開いた歴史があります。宿泊した瀬戸内リトリート青凪で、夕食でいただいたのは愛媛あかね和牛。みかんなど柑橘類の搾りかすを食べて育った黒毛和牛で、日本で初めて赤身のおいしさを追求したブランド牛です。脂が少なく、やさしい味わいがとても印象に残りました。


EP. 652『@松山 、其ノ三 - 阪之上の雲、皿の上の耳』
07/15/2026

道後温泉では、日本最初の軽便鉄道「坊っちゃん列車」に出会いました。1888年から67年間走り続け、夏目漱石の『坊っちゃん』にも「マッチ箱のような汽車」として登場します。松山の町を歩くと、どこへ行っても緩やかな坂が続き、『坂の上の雲』の舞台らしい風景が広がっています。道後の日本料理店「海舟」では、カミナリイカの耳をいただきました。カミナリイカはモンゴウイカの別名で、雷が鳴る頃においしくなることからそう呼ばれています。細かく包丁が入った耳は驚くほどコリコリとした食感で、何もつけずにそのまま味わいました。イカの耳は泳ぐ方向を決める舵の役割を持つようで、自分の耳は行く方向をわかっているのか思いを馳せました。


EP. 651『@松山 、其ノ二 - 鯛飯、南伊予と東伊予』
07/14/2026

愛媛という地名は、『古事記』に登場する女神・愛比売に由来し、「愛するお姫様」という意味があるといわれています。今回は愛媛県民文化大学で、正岡子規や夏目漱石、中村不折、上田万年らが近代日本語を築いたことについてお話ししてきました。愛媛では県民のソウルフード・鯛めしも味わいました。『古事記』や『日本書紀』にも鯛にまつわる話が残り、今治では鯛を丸ごと炊き込む鯛めし、宇和島では刺身を醤油や卵などに漬けてご飯にかける鯛めしが親しまれています。南予では、みかんを餌に育てた養殖鯛もいただきました。


EP. 650『@松山 、其ノ一 - 坊つちやん、野菜もお魚も神経締め』
07/13/2026

松山は、空港に降り立った瞬間から空気も光も人の雰囲気もやわらかくて、「ぼっちゃん」を書くためにこの地を訪れた夏目漱石も、きっと同じような驚きを感じたのではないかと思いました。街の中心には松山城がそびえ、市電が今も変わらず走る風景は、漱石の時代を思わせます。今回訪れた料理店では、神経締めで知られる今治の漁師・藤本さんの魚をいただきました。魚にできるだけストレスを与えずに仕上げることで、おいしさが引き出されるそうです。食材も人も、ストレスをかけないことが大切なんですね。伸びやかな文章で書かれた「ぼっちゃん」が今も愛されるのも、そんな松山の空気が育んだ作品だからなのかもしれません。


EP. 649『@谷中・根岸 、其ノ四 - ニャー!日本語のおいしーを作った人たち』
07/09/2026

谷中霊園には、近代日本語の成立に大きく貢献した言語学者・上田万年の墓があります。上田万年は国語調査委員会を設立し、全国の方言調査や日本語の研究を進め、言文一致運動を主導しました。また、夏目漱石のイギリス留学を後押しした人物でもあります。猫の鳴き声を「ニャー」と表記するための小書きの「ャ」や長音符を考案し、漱石の作品にも用いられました。国定教科書では「お母さん」などの長音表記を採用しようとしましたが、森鷗外の反対により実現しませんでした。獅子文六の『食味歳時記』には、上田万年や幸田露伴、佐藤春夫、久保田万太郎らが参加した「名月と蕎麦の会」の様子が記されています。鮎や酒が供され、最後に蕎麦が出されました。幸田露伴や上田万年らは多くを語らず、黙って蕎麦をすすっていたと記されています。


EP. 648『@谷中・根岸 、其ノ三 - 木魚叩いて普茶料理、梵』
07/08/2026

海梆(かいぱん)は、寺院で食事の時間などを知らせるために打ち鳴らす魚の形をした木製の道具で、現在の木魚の原形とされています。魚は眠らず目を閉じないと考えられていたことから、不眠不休で修行に励む僧侶の姿を表しています。また、魚が口から玉を吐き出す姿は、悟りによって煩悩を捨てることを意味しています。根岸には普茶料理の店「梵」があります。普茶料理は中国・明代に生まれた精進料理で、肉や魚、卵、乳製品を使わず、食材を無駄にせず感謝していただくことを大切にしています。ごま油や菜種油、くるみなどを使い、豆腐や湯葉、しいたけ、たけのこなどの食材を工夫して、肉料理や魚料理のような食感や味わいを生み出します。普茶料理は江戸時代初期に来日した隠元が伝えた料理で、大皿を囲んで皆で取り分けていただくのが特徴で、「梵」のある根岸・龍泉は樋口一葉の『たけくらべ』の舞台としても知られています。


EP. 647『@谷中・根岸 、其ノ二 - お豆腐、笹の雪の如き美しさ』
07/07/2026

日暮里駅から根岸方面へ歩くと、書道博物館があります。書道博物館を創設した中村不折は洋画家でありながら書の収集家としても知られ、森鷗外の墓碑や新宿中村屋の看板の文字を書いた人物です。不折が集めた書のコレクションが収蔵されています。中村不折は正岡子規と親交が深く、1894年の日清戦争では、子規が文章、不折が絵を担当して戦地を取材し、その報道は近代日本語の成立にも大きな影響を与えました。また、不折は『ホトトギス』や『吾輩は猫である』の表紙も手がけています。子規庵の隣には老舗豆腐店「笹の雪」が2024年8月に新店舗を開きました。創業は1691年で、輪王寺宮が「笹の上に積もった雪のように美しい」と称えたことから店名が付けられました。正岡子規も好んで食べた豆腐として知られ、現在は豆腐のフルコースを味わうことができます。


EP. 646『@谷中・根岸 、其ノ一 - 生きるために食べる!子規』
07/06/2026

東京・谷中は、夕やけだんだんや谷中銀座がある、どこか昭和の面影を感じる街です。そして、この地には俳人・正岡子規が晩年を過ごした「子規庵」があります。子規は34歳11か月という短い生涯でしたが、俳句を近代文学として確立し、今につながる日本語の表現を築いた人物です。また、「野球」という言葉を広めたことでも知られています。病に倒れ、寝たきりとなってからも創作への情熱は衰えず、夏目漱石や高浜虚子ら多くの仲間や弟子が子規庵を訪れました。子規は「頭を使う人ほど栄養をしっかり取るべきだ」と、弟子たちに牛肉などを食べて体を養うよう勧め、自らも食事を大切にして病と向き合いました。「食べることは生きること」という思いで最後まで命を燃やし続け、辞世の句「へちま咲いて 痰のつまりし 仏かな」を残して35歳を前にその生涯を閉じました。


EP. 645『@水戸 、其ノ四 - 花びら茸、花鳥風月』
07/02/2026

茨城県は首都圏の台所とも呼ばれ、多くの農産物が生産されています。今回、その中で印象に残ったのが、白い花のような姿をしたハナビラタケでした。水戸では徳川ミュージアムを訪れました。偕楽園近くの高台にあり、水戸徳川家に伝わる美術品や古文書を所蔵しています。芝生の広場には徳川家康と徳川光圀の銅像が設置され、来館者が並んで写真を撮ることもできます。展示では、徳川家康筆と伝わる「花鳥風月」の書や、中国明代の青磁香炉を見ることができます。また、ハナビラタケのポタージュは、シャキシャキとした食感と香りが特徴です。館内の芝生は自動芝刈り機「カクさん」が管理しており、かつては「スケさん」も稼働していました。歴史資料や庭園、美術品に触れながら、ゆったりとした時間を過ごせる場所です。